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東京家庭裁判所 昭和40年(家)5287号 審判

申立人 大内幸子(仮名)

相手方 大内和男(仮名)

主文

相手方はすみやかに申立人と同居すること。

相手方は申立人に対し金二三万円の即時および昭和四一年七月一日以降申立人と相手方との別居解消に至るまで、毎月金一万円を、それぞれ申立人住所に送金して支払え。

理由

一  申立人の本件申立の要旨

(一)  申立の趣旨

申立人と相手方は同居し、互いに協力扶助する。

右同居に至るまで、相手方は申立人に対し、婚姻費用として毎月金二万五、〇〇〇円を支払え。

(二)  申立の理由

(1)  申立人と相手方は昭和三五年三月一四日雇用により結婚し、申立人と相手方との間に昭和三五年三月一日長女春子、昭和三八年四月三〇日長男初男が生まれた。

(2)  昭和三八年一月頃申立人と相手方夫婦は江戸川区にアパートを借りて長女春子と三人で暮していたが、右アパー卜の賃貸借契約の期限も迫り、申立人は妊娠七ヵ月の身重であつたので、出産のため長女を連れて申立人の実家(長崎県島原市)に帰り、やがて相手方は適当なアパー卜を新しく借りて相手方が申立人と子供達を迎えにくるという約束であつた。

そこで申立人は実家で長男を出産し相手方の迎えに来るのを待つたが一向に迎えに来なかつた。

(3)  申立人は昭和三九年一月頃には迎えに来るという相手方の手紙を受取つたが迎えに来ず、申立人は不審に感じて子供らを伴つて上京したところ、相手方から既に他の女性と同棲している事実を知らされ、相手方および相手方の父母は申立人に強行に離婚に応ずるよう要求するに至つた。

(4)  申立人は上京中生活に困り、長男を相手方の母に預け、長女を連れて実家に身を寄せ、実家の父に上京して相手方との交渉に当つてもらつたが、相手方は申立人との同居に応ぜず、何ら扶助しようとしないので、申立人は福岡市に住込みで職を求め、病院の炊事帰をしたりして朝早くから夜遅くまで働きようやく生活しているものである。殊に長女が病気にかかつた時などは途方に暮れる有様である。

(5)  申立人は相手方に対し、他の女性との関係を絶つて、申立人、長女、長男との正常な水入らずの家庭生活を希望しているものであつて、同居を請求するとともに、同居に至るまでの生活費の分担を求めるものである。

相手方は昭和三八年末まで月一万円前後(出産時は四万円)を送つてきただけで、その後の生活費の仕送りはない。

二  事件の経過

申立人は昭和三九年五月二一日福岡家庭裁判所に本件審判を申立て、同家裁は本件を調停に付したところ、相手方は調停期日に出席せず同家裁は昭和三九年八月一四日相手方に金一万円の支払を命ずる旨の審判前の仮の処分をなしたが相手方は右支払をなさず、その後の調停期日への出席を約しながら欠席したので、昭和四〇年九月一五日同家裁は本件を東京家裁に移送した。東京家裁において開かれた調停期日においても相手方は一度出席しただけで爾後欠席し、合意が成立する見込がないとして昭和四一年四月一八日審判手続を再開したが、その後の審判期日にも相手方は出頭しない。

三  当裁判所の判断

(一)  本件記録中の戸籍謄本一通によつて、申立人と相手方の結婚および長女、長男の出産の事実を認めることができる。

(二)  東京家庭裁判所調査官小林麗子の昭和三九年六月一日付報告書、同馬杉葉子の昭和四〇年五月六日付報告書、同加塩千里の昭和四一年四月一六日付報告書、申立人の手紙五通その他本件記録中の一切の資料を綜合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  相手方は商業デザイナーで申立人と結婚する以前、九州に滞在中当時デパートに勤務していた申立人と知合つて結婚したもので、結婚後世田ケ谷の千歳船橋のアパートに住み、昭和三六年頃に江戸川のアパー卜に移り住んだ。

(2)  昭和三八年一月頃、申立人は長男を妊娠中であり、たまたまアパー卜の期限もきれるということも重なつて、申立人は出産のため九州の実家に帰つていた。その以前から申立人の嫉妬やとかく円満さを欠く言動に相手方は嫌気がさし、デザイナーとしての職業を理由に外泊も始まり、夫婦の間に波風が立ち始めていたことも加わつて申立人は出産後も福岡にいたが、ようやく昭和三九年一月申立人は長男を伴つて上京した。

(3)  ところが、相手方は申立人や子供達とともに家庭生活を営む気持も用意もなく、申立人に対し協議離婚の同意を求めた。申立人は一旦離婚に同意しながら子供達のことを考えて離婚を思いとどまつたものの相手方は申立人を受容れようとしないのでやむなく長男を相手方の両親に託し、長女のみ連れて申立人の実家に戻つた。爾来申立人と相手方の別居は今日まで続いている。申立人は実家の世話にもなれないところから、福岡市の母子寮に住み、市役所の臨時雇として働き、月収約一万四、五〇〇円を得て長女との生活を支えているが、相手方との同居生活を待ちのぞんでいる。

(4)  これに対し、相手方は、申立人が一旦離婚に同意しながら後にこれを徹回したことのみを責め、本件調停審判期日に欠席し、申立人と長女を呼びよせて申立人との家庭生活を再びやり直そうとする誠意と努力を示そうとしないことは勿論、離婚を条件に申立人と長女との生活費を支払う旨調査官に述べており、自分の住居も秘し、私生活を明らかにせず、相当期間後放置することにより相手方がやむなく離婚に応ずるのを待つている。

以上の事実が認められる。

(三)  まず申立人の同居請求について考えると、申立人と相手方とが同居するに至つた事情は、前記認定の如く夫婦間に多少の紛争があり、夫婦間に一度は離婚の話合いがあつたことは認められるけれども、右は単なる話合いに過ぎず申立人に離婚を強制すべきすじあいではないし、右別居が申立人の責任に原因する事実ないし、相手方が申立人との同居を拒む正当の事由を認めることのできる証拠はない。

然るときは、申立人と相手方は法律上の結婚を継続している以上、相手方は申立人と同居し、未成年の二人の子の育成と、健全な家庭の再建設に協力する義務があるものといわざるを得ない。

よつて、相手方は、出来るだけすみやかに、住居を設定し、申立人と長女、長男とともに呼び寄せて同居すべきものとする。

(四)  次の申立人の生活費の請求について判断する。

前記認定の事実によれば、申立人は長女と共に母子寮に住み、福岡市役所の臨時雇として月約一万四、五〇〇円を得ており、前掲各資料によると長女は本年小学一年に入学し、同人については月一、二〇〇円の児童扶養手当を国から得ていること。相手方の職業がなかば自由業で一定の雇主のないところからその収入の程度をつかみ難いこと、昭和三八年末までは申立人らの生活費を送金していたが、昭和三九年以後は何らの送金をしていないこと、、昭和三九年八月一五日福岡家裁が審判前の仮の処分として相手方に毎月一万円の支払を命じた後も右命令に応じようとしなかつたが、東京家裁における前記第一回調停期日に際しては毎月一万円の送金を約していたこと、申立人は現在としては一万円の送金でも有難いとしていることを認めることができる。

相手方は婚姻中の夫婦の協力扶助義務および、婚姻費用分担義務に基いて、別居中申立人が長女とともに暮す生活に必要な費用の不足分を申立人に対し支払うべき義務があるところ、前記認定の事実によれば、相手方の職業は半ば自由業でその収入を明瞭に把握することが困難であるから、いわゆる労働科学研究所の総合消費単位表を基礎とする生活費の計算方式によつて、相手方の分担すべき生活費の数額を定めることができないので、前記認定の事実その他諸般の事情を斟酌して、相手方の分担すべき金額を月額金一万円と定める。

然るときは、相手方は申立人が本件申立をなした以後右金額の支払義務があるものとすべきところ、少くとも福岡家裁が仮の処分をなした昭和三九年八月以降の分については相手方も充分にその支払義務を認識しているものと考えられるので、既に履行期の到来している昭和三九年八月以降昭和四一年六月分まで合計金二三万円を即時に、昭和四一年七月以降申立人と相手方の別居解消に至るまでは毎月末日限り、申立人方に送金して支払うべきものと定める。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田愛子)

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